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神示の健康

霊と体 一切万有は霊主体従が原則であるとしたら幾多の奇跡もこの理が分かれば敢えて不思議はないのである。それに就いて先ず知っておかなければならない事は、霊界と限界との関係である。というのは人間という者は肉体の着衣と同様、霊も霊衣(アウル)を着ており、霊衣とは一種のエーテルであってこれは、霊から放射される光で、もうろう体ではあるが肉眼で見る人もある。そして霊衣なるものは
天気と同様常に晴れたり曇ったりしている。即ち善を思い善を行えば晴れ悪を思い悪を行えば曇るのである。故に正しい神を信ずれば光を受けて曇りはそれだけ消されるが、邪神を拝めば反って曇りが増すのである。処が普通人は霊的知識がない為神とさえいえばことごとく正神と思うが、これが大きな誤りで、実は邪神のほうが多いのである。その証拠には先祖代々熱烈な信仰を続けているに拘わらず、不幸の絶えないという家をよく見かけるが、これは拝む本尊が邪神か又は弱神であるからである。故に正神に帰依し、人を救い善徳を積めば積む程光は増すから霊衣も厚くなる。霊衣はその人の心掛け次第で厚くもなり薄くもなるので、人間はこの事を信じて大いに善徳を積むべきである。


 感想、正しい神様に帰依して、人救いをして善徳を積むこと、霊衣ってその人の雰囲気とかオーラの
ことだと理解しています。人のオーラって何なのか?人を助けて喜んで頂いた時に、こころが満たされる経験があります。趣味とか、道楽を善徳を積むこととすればこんなに良いことはないと思います。
では、善徳とは、何をしたらいいのか?小さな善徳の積み重ねも大切ですが、本当に大きな善徳とは
やはり、人が正しい神様を信じるようにお導きをすることだと思います。では、正神とは何か?
それは、教えが立派で、神力が働いて不運で、病気な人が、健康で幸せな人生に変えることが出来る
事だと思います。病気が治る必要があり、不幸が幸福になる必要がある。苦しむ先祖も救われる必要があるそれが出来ないなら、弱神であるということです。

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